Tomoの中国面白体験記
「番外編」神々が宿る国:ネパール01
ネパール(NEPAL)は2008年に王制が廃止され、ゲリラ活動を長年続けてきた毛沢東思想を掲げる「マオイスト」が第1党となり、「ネパール連邦民主共和国」が誕生した。
そのため、中国との関係は密接であるが、前政権に武器供給などの支援を行っていたアメリカとの関係は、良好とはいえない。
日本は、1956年に外交関係を樹立。現在でも、日本の政府開発援助(ODA)の実施機関である国際協力機構「JICA」が中心となってインフラ事業などを推し進めている。
空港からカトマンズ市内へと続く道路は、日本の支援によるものである。
また、国民の80%以上がヒンズー教徒であるため、ヒンズー教を民族宗教とするインドとの関係は深い。
産業と言えるものは農業しか無いが、傭兵を世界に派遣する「民間軍事会社」は、ネパールに外貨をもたらす意味からすると、実質的に大きな産業と言える。
なお、石油などの資源や自動車、工業製品などは、全て隣国インドからの輸入に頼っている。
首都はカトマンズ(Kathmandu)で、人口約300万人。
登山家やトレッキング愛好者達のヒマラヤ登山の玄関口として世界的に有名だ。
カトマンズそしてバクタブル(Bhaktapur)とパタン(Patan)を含めたカトマンズ盆地一帯は、仏陀誕生の地「ルンビニ(Lumbini)」ともに、世界文化遺産に登録されている。
ネパールの治安は、連邦民主共和国の成立後、徐々に改善しつつあるが、ベトナム戦争終結当時(1975年)、反戦運動を繰り広げた大勢のヒッピー(Hippie)らが、ここカトマンズに集まった過去があり、今でも非合法ドラッグが簡単に手に入るため、そのことが、治安維持の遅れの要因にもなっている。
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ほんとうにどうでも良い商品だが、見てみたい気もする
節以後、中国行きから随分と遠ざかってしまった。
そろそろBSCCに出勤しないと、皆から忘れ去られてしまいそうだ。
日本の生活は、中国のホテル暮らしに比べると、数段、楽である。楽というより緊張感がないと言った方がふさわしいかも知れない。だからついその楽さに浸ってしまう。堕落の一歩だ。
この緊張感の無さは、時に「やる気」さえも奪いとってしまうから要注意なのだ。
東日本大震災で未曾有の被害を被った日本、3月11日で1年を迎えたが、復興への道のりはまだまだ遠い。その日、テレビでは、いつもと変わらないドラマやお笑い・クイズ・グルメ番組などが放映されてはいたが、その間隙をぬって震災に関する特集番組も数多く組まれた。
私達は、リモコン操作ひとつで「痛ましい震災被害の記憶と現状」から「お笑い番組」へと場面を一変することができる。
2003年3月20日、突然、始まったアメリカのイラクへの武力攻撃の時もそうだった。
2001年9月11日、アメリカ同時多発テロの時もそうだった。
私達は、大勢の人々が死んでいく場面をテレビで見ることとなった。残酷だといってボタンを押せば、その場面から逃げることができる。しかし、現実に起こっている惨劇は、決してチャンネルでは変えることはできない。そこに、テレビの持つ残酷さがある。
平和な日本で暮らせることに感謝しよう。
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桜花は、世界の人々にも愛されているようだ。
桜花は日本人ばかりでなく、世界の人々にも愛されているようだ。
多くの中国人から「日本へ行ったら、桜花を見たい」といった言葉をよく耳にする。
アメリカやドイツの知人やトルコのFacebookの友達からも、桜花の写真が欲しいってメールが届く。桜の花は、世界の人々にも愛されているようだ。
木々いっぱいに咲き誇る桜の並木道を一人で散歩する。
この時期ならではの私の贅沢な休日の過ごし方。
桜の木々が重なり、背景の空を覆い隠すほど桜花が咲き誇っている様は、見事である。
桜花の淡いピンク色と木々の隙間から顔をだす空の青さとのコントラストは、とにかく美しい。
今年の4月9日は、4月下旬並みの暖かさとなったため、近畿から関東の桜は、ほぼ満開。
新入学や新社会人にとって、今年の桜花は、忘れえぬ思い出となって心に刻まれたことだろう。
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郷に入っては郷に従え「入郷随俗」
最近、香港、韓国、シンガポールなどで、中国人観光客のマナーの悪さが問題視されている。
日本でもしかりである。
たとえば、「ところかまわず大声で会話をする」、「どこでも値切る」、「信号を無視する」、「トイレの紙を流さない」など、これらは確かに、日本人から見れば「眉をひそめたく」なる光景である。
しかし、中国で生活をしたことのある日本人には、なんら日常の普通の光景として映るはずだ。単に「マナーが悪い」だけで片付けられたのでは中国人の面子がない。
そこで、中国人に代わって、これらのことについて反論してみたい。
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万歳を通して、日本の伝承芸能について考える。

伊勢万歳(三曲)2012年・1/28日:鈴鹿市民会館にて
今、日本の芸能界は、漫才ブーム。テレビで漫才やお笑いタレントを見ない日はない。
先行き不透明な日本の将来、私たちの力で、どうなることでもない。この際、「笑って過ごしましょう」ってことなのか。
この漫才(MANNZAI)、発祥はたいへん古く平安時代にまでさかのぼる。その当時、
2人一組で家々を訪れ、新年を祝う口上を述べた後に、片方が鼓(TSUZUMI)を打ち、もう1人がその鼓に合せて舞うといった新年を寿ぐ「言祝(KOTOHOGU)」歌舞(KABU)であった。
江戸時代に入り、歌舞のみでなく言葉の掛け合い噺や謎かけ問答を芸に加えて滑稽味を増し発展していった。 明治時代(1870年代)に入り、胡弓が加わり・鼓・三味線の三曲万歳がもてはやされるようになり、今の上方(京都を中心とする関西地域)万歳の基礎となった。
胡弓が使われることから中国の影響を受けているものと思われるが、万歳そのものが中国から伝来したことを示す文献は見当たらない。
また、「万歳」が「漫才」として表記されるようになったのは比較的新しく(1932年)、吉本興業(大阪)が営業品目として注目を浴びるために用いるようになってからである。
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Tomo
1997年、広東省深センでコンサルタント会社を設立し日系企業の中国進出をサポートするともに各省において日本の技術や経営、文化等を学ぶための日本学科を開講する。
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